シーボルト来日200周年を記念して、1年間にわたりご紹介してまいりましたシーボルトに関するリレーコラムも最終回となります。短いコラムではありましたが、シーボルトが日本に対して大きな好奇心を抱き、そして長崎に強い愛着を持ち続けたことが、読者の皆様と共有できればありがたいと思います。
最後に紹介するのは、周年事業について。シーボルト来日100周年にあたる大正12年(1923)には、どのような事業が行われたのでしょうか。
その1年前にあたる大正11年(1922)には、後世に残すべき貴重な文化財として、シーボルト宅跡、出島和蘭商館跡、ならびに高島秋帆旧宅は史跡に指定されました。100周年にあたる大正12年(1923)には、これを記念し、シーボルト宅跡に胸像を建立、除幕式が行われました。しかしながら、この年は関東大震災が起こったため、式典は翌年に延期され、大正13年(1924)、シーボルト宅跡には多くの関係者が集まり、記念式典が開催されました。シーボルトのご家族からは、軍服やサーベル等、ゆかりの資料が寄贈され、現在も長崎県、長崎市が所蔵、活用しています。
さらに150周年にあたる昭和48年(1973)には、有志による来日150周年を記念するモニュメントが出島に建立されました。庭園の一角にひっそりと立つこの記念碑は、他の文化財や復元建物と比較すると影が薄いのですが、200周年にあたる2023年には、ふたたび注目され、先人たちも節目節目にシーボルトの功績を顕彰していたことを知ることができました。
200周年は終わりを迎えましたが、次は250年、そして300年、現在の私たちには思いもつかないような新しい表現方法で、シーボルトの功績がさらに未来に伝えられることを想像するとワクワクします。
(長崎市 出島復元整備室 学芸員 山口美由紀)