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シーボルト来日200周年 Vol.9 シーボルトと庭園 – 【公式】出島〜dejima〜

お知らせ

2023/12/01 シーボルト来日200周年記念コラム
シーボルト来日200周年 Vol.9 シーボルトと庭園

出島の北東側、ここには代々庭園のスペースが設けられていました。数々の出島図に庭園の姿が描かれていますが、その姿はシーボルトの来日前後で異なります。

 シーボルト来日以前、庭園には桃杏などの果樹や美しい草花が植えられ、中央付近には池が、池には小さな橋と葡萄棚が架けられていました。石崎融思筆『唐館図蘭館図絵巻』「蘭館図」には、草花が咲き、孔雀が歩く優美な庭を、遊女が観賞している様子が描かれています。

 一方、シーボルト来日以降の庭園では、池がなくなり、綺麗に区画整理され、庭園いっぱいに植物が育てられました。どうして出島の庭園は姿を変えたのでしょうか。

 オランダ東インド政庁から日本調査の使命を託されたシーボルト。彼には資料収集や調査のために必要な費用の使用が認められていました。シーボルトは出島の庭園をそれまでのような観賞用の庭ではなく、実用的な植物園として整備し、彼や彼の門人たちが日本中から集めた数々の植物をここで栽培しました。園芸用、薬用、食用など、栽培された植物の数は1000種以上であったことを彼は記録に残しています。

この場所で彼は託された使命のため、自身の研究のために植物を栽培、調査しましたが、出島の庭園の役割はそれだけではありません。ヨーロッパに生きた植物を送り出すため、船を待つ間の植物の育成と、移植するための馴化もまた、庭園が担った大きな役割の一つでした。

 出島の一角に設けられた庭園。端から端まで見渡せてしまう小さな植物園は、シーボルトの日本での活動において重要な役割を果たしました。

(長崎市 出島復元整備室 学芸員 和田奈緒)

シーボルト来日以前の庭園
石崎融思筆『唐館図蘭館図絵巻』「蘭館図」(部分)
長崎歴史文化博物館蔵
シーボルトが整備した庭園
伝川原慶賀「長崎出島之図」(部分)
長崎大学附属図書館経済学部分館蔵
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