復元整備事業 – 国指定史跡「出島 Dejima」

出島復元整備事業

― 新しい出島の誕生 ―

長崎市は、昭和26年度から出島の整備計画に着手し、史跡内の民有地の公有化や施設整備に取り組んできました。
そして平成8年度からは本格的な復元整備事業を実施しています。
ここでは、短中期計画、長期計画を柱に完全復元をめざす出島の「今」をご紹介します。

出島復元の目的
鎖国時代、日本と西欧を結ぶ唯一の窓口であった出島は、経済・文化・学術の交流拠点として、日本の近代化に大きな役割を果たしました。しかし、明治以降、出島周辺の埋め立てが進み、明治37年の第2期港湾改良工事により、海に浮かぶ扇形の原形を失ってしまいました。出島は、日本だけではなく世界史上においても貴重な歴史的遺産であり、その復元は市民はもちろん、国内外の多くの人々が待ち望んでいます。

復元計画の流れ

出島は大正11年に国の史跡に指定されました。長崎市では昭和26年度から整備計画に着手し、
昭和27年度以来、史跡内の民有地の公有化や施設整備に取り組んでいます。
これまで研究会や審議会での検討を経て、平成8年度からは本格的な復元整備事業を実施。
平成13年度には民有地のすべてを公有化するなど、完全復元に向けて整備は着々と進んでいます。

1978(昭和53)年長崎市出島史跡整備審議会の設置
1982(昭和57)年史跡の長期的かつ総合的復元整備構想についての答申
1992(平成4)年長崎市出島史跡復元整備研究会の設置、
整備基本案の策定
1994(平成6)年第2次長崎市出島史跡整備審議会の設置、
短中期・長期計画原案の提示
1996(平成8)年審議会の答申、本格的な復元整備事業スタート

2つの出島の復元計画

短中期計画

短中期計画では、出島の「西・北」「中央」「東・南」の各ゾーンの順に、
3段階に分けて鎖国時代の建物などの復元整備を行います。建物の復元により、当時の出島の町並みなどを
体験することができ、復元した建物内の展示により、当時の人々の暮らしぶりを知ることができます。

  • 第1段階

    西・北ゾーン 出島の代表的な建物だったカピタン部屋(商館長居宅)や水門など10棟を復元、建物と家具・調度品などにより、当時の生活や貿易のようすなどを紹介する展示を行います。

  • 第2段階

    中央ゾーン 日本人用の家屋や土蔵など10棟を復元。地役人の仕事のようすなどを紹介します。

  • 第3段階

    東・南ゾーン 病室やカピタン別荘など5棟を復元。通りや街灯、家具・調度品などの展示整備により、生活感のある町をつくります。

長期計画

出島が完全によみがえる!
長期計画では、四方に水面を確保し、19世紀初めの扇形の島を完全に復元します。

  • 北側

    出島北面を復元するため、中島川を江戸町側へ振り替え、中島川公園の再整備を行います。

  • 西側

    荷揚場を復元し、水面を確保して出島の形を再現するために、国道499号線を西側へ移動させます。

  • 南側

    銅座川の流れを一部変更して海に通じる水路を設置。出島を中心とした市街地環境を整備します。

  • 建物など

    建物や庭園を復元、建物の内部については、より充実した展示活用を行います。

出島復元の裏話

  • 洋風の手すりは、ちょっと和風?!

    出島のオランダ人のなかには、費用を自分で負担して建物を改装する人もいました。特に商館長に次ぐ地位のヘトルともなると、改装にも熱が入り、窓にはガラスを入れたり、洋風の手すりをつけたり。しかし、この手すりをつくるのは長崎の大工さん。見よう見まねでできた手すりは、本来の円筒形とは異なり、板状の不思議な形。もちろん緑色のペンキはオランダ人が持ち込んだものですが、なんとも興味深い和洋折衷のお話です。

  • ブロムホフの出島模型、さまざまな調査をもとに建物を復元!

    建物の復元には、商館長ヤン・コック・ブロムホフの出島模型が貴重な参考資料としてつかわれています。この模型の縮尺は平面で約30分の1。屋根の瓦、外壁の板やしっくい、開口部のドアや障子などのほか、間取りなども詳しく表現されていますが、高さ方向が約2倍に強調されているため、建物の細部についてはさまざまな調査を実施。長崎にのこる幕末から明治時代の町屋をはじめ、グラバー邸、料亭花月、旧英国領事館職員住宅などを参考にしながら復元に取り組んでいます。