現在まで出島を描いた数々の絵図が残されていますが、その中にはオランダ国旗が翻る旗竿の姿が描かれたものが多くあります。シーボルトがいた当時、出島の西側にはイ蔵・ロ蔵と呼ばれる大きな蔵があり、蔵前の広場には高さ約30メートル、帆船のマストのような構造の巨大な旗竿が建てられ、私たちにとってもなじみ深い赤白青色を配したオランダ国旗が翻っていました。
旗竿は、出島がオランダ商館であったことを象徴する重要な構築物で、19世紀のはじめ、オランダがナポレオンによって合併され、オランダという国が一時消滅してしまう大事件が起きた際も、世界各地でオランダ国旗が降ろされた中、出島では当時の商館長ドゥーフによってオランダ国旗が掲揚され続けたというエピソードも残っています。
その後来日したシーボルトは江戸参府の際、取り寄せたクロノメーターを使用して様々な地点の経緯度を測定しましたが、参府終了後に出島の位置についても観測を行いました。彼の著書『日本』に記された測定地の名前は「出島(旗竿)」となっています。彼にとっても旗竿は出島の象徴という認識があったのかもしれません。
出島復元整備事業が本格的に始まった平成のはじめ、復元整備のシンボルとして場内中央部に大きな旗竿が建てられていたことを覚えている方もいるのではないでしょうか。事業が進む中で、中央広場の旗竿は姿を消していましたが、今年(2023)、シーボルト来日200周年を記念する年の10月13日に、江戸時代に旗竿があったと推定される場内西側に旗竿を設置します。地下に残る遺跡や石垣を守るため、高さは往時の約半分の12m、現代的な国旗掲揚台です。ぜひオランダ国旗が翻る出島にご来場ください。
(長崎市 出島復元整備室 学芸員 和田奈緒)