「なんと魅力的な海岸であろうか!」1823年8月、晴れ渡る長崎の港に、希望溢れる一人の青年を乗せたオランダ船が到着しました。2023年は、シーボルトが来日して200年の節目の年にあたります。これを記念し、令和5年度はシーボルトと出島のつながりにスポットをあて、全12本の特集記事をお届けします。なぜシーボルトは出島にやってきたのか、出島で何をしていたのか、今の出島でシーボルトの足跡を感じられるスポットは…?などなど、気になる情報をたくさんご紹介しますので、お楽しみに!
Vol.1である今回は、シーボルトの生い立ちを紹介します。
1796年、南ドイツのヴュルツブルクという町に男の子が生まれました。彼の名はフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト。著名な医学者を多数輩出するシーボルト家に生まれた彼は、恵まれた学問的環境ですくすくと育ちました。
1815年、19歳でヴュルツブルク大学哲学科に入学したシーボルトは、翌年医学部に転入。医学を修学するかたわら、植物学、動物学、地理学、民族学など、様々な分野の学問を学びました。ここで学んだ幅広い知識が、後に彼が日本の調査・研究をする際、大いに役立つこととなりました。
1820年、24歳で大学を卒業。その後近くの町で医者として働いていましたが、かねてより海外の自然について研究したいと考えていた彼は、そのころ世界中と貿易をしていたオランダにむかい、陸軍の外科軍医になりました。
その後27歳から33歳まで出島で過ごした彼は、この場所で人生の光と闇を経験することになりますが、それはまた別のお話…。
次回は物語のはじまり、出島上陸について見ていきましょう。
(長崎市 出島復元整備室 学芸員 和田奈緒)