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【出島和蘭商館跡 史跡指定100周年Vol.4 】出島の史跡整備② 整備の基本方針 – 【公式】出島〜dejima〜

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2022/08/05 史跡指定100周年記念コラム  
【出島和蘭商館跡 史跡指定100周年Vol.4 】出島の史跡整備② 整備の基本方針

皆さんが歴史の授業で習った「出島」はどんな姿をしていましたか?写真は整備が始まる前に撮影された出島の様子です。いかがでしょうか?史跡地内にはビルや商店が建ち並び、中央の道路は国道とつながり、車が行き来しています。大正11年(1922)に国の史跡として指定された出島ですが、海に浮かぶ扇形の島は、周囲の埋め立ても進み、長崎の町の一部として開発されていました。それもそのはず、出島はもともと長崎の町人が出資して築造した人工の島で、オランダ商館廃止後も土地の所有者は町の人々でした。

長崎市は、江戸時代の出島を現代に甦らせるべく、戦後間もない昭和26年(1951)から整備に向けた取り組みを始めます。昭和53年(1978)に発足した長崎市史跡整備審議会では、遺跡の境界確認調査と範囲の確定、史跡地の公有化、建物や環境の復元などの基本方針が示されました。

出島における復元は本来あった場所に、本来あった建物を建てることを基本としています。一重に「江戸時代の出島」といってもその歴史は200年以上。建物の建て替えや配置の変更が行われており、いつの出島を復元するかで景観が変わってきます。検討の結果、重要な資料が多く残存し、かつ、シーボルトなど今日までエピソードが多く伝わる人々が活躍した19世紀初頭(1800年代初め)の出島を復元することになりました。

多くの方のご理解とご協力のもと、公有化への取り組みは平成13年(2001)に完了し、現在出島では16棟の復元建物を整備しています。平成29年(2017)には出島表門橋が開通し、往時のように橋を渡って出島に入ることができるようになりました。

(長崎市 出島復元整備室 学芸員 和田奈緒)

整備前の出島 平成6年撮影
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