江戸時代の長崎において、貿易と交流の基点となった出島には、重要な二つの門がありました。一つは、出島の最西端に設けられた輸出入品の通り口であった水門。オランダ船に積まれた輸入品は、水門の南側口から出島内に搬入され、検査を受けました。また、日本からの輸出品は水門の北側口から搬出され、オランダ船に積み込まれました。このことから水門は、世界とつながる窓口であったと言えます。
もう一つは、出島の中央部に位置する表門です。表門では、出島への人の出入りを監視、制限し、出島に運び込まれる物資も、この門を通りました。門の前には、長崎の町とつながる橋が架かり、島内への唯一の入場口として、長崎、日本と出島をつなぐ、あるいは隔てる役目を担いました。
2017年11月長崎と出島をつなぐ新たな橋『出島表門橋』が完成してから、はや5年が過ぎました。この橋の架橋には、募金活動で集められた出島史跡整備基金を用いたことから、『みんなの橋』であるという意識が高くあります。橋を長く、きれいに利用するため、DEJIMABASEを中心に有志が集い、橋の清掃を行う『はしふき』は、これまでに100回以上実施されています。
往時の小さな石橋は、出島への自由な出入りを制限したことから、鎖国時代を象徴するものであり、出島の本質的な価値を示す要素の一つと言えます。
現在の表門橋は出島へ来場者を迎え入れる開かれた橋であり、新たな価値を出島に与える要素として、位置付けられます。
橋の上から中島川をのぞくと、水中に何やら生き物の姿が。日々変わる水辺の様子を観察するのも、楽しいものです。
(長崎市 出島復元整備室 学芸員 山口美由紀)