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【出島和蘭商館跡 史跡指定100周年 Vol.3】出島の価値を考える②小さな島の魅力 – 【公式】出島〜dejima〜

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2022/07/05 史跡指定100周年記念コラム  
【出島和蘭商館跡 史跡指定100周年 Vol.3】出島の価値を考える②小さな島の魅力

扇の形をした人工の島、出島。『長崎実録大成』(宝暦10年)によれば、江戸時代の出島の面積は3969坪1分(約15,000㎡)で、扇形の外側にあたる南側の弧の長さは118間2尺7寸(約233m)、西側の幅は35間3尺8寸(約70m)と記されています。

 ちなみに現在の出島は、明治時代に北側が18mほど削り取られたため、その面積は約13,000㎡であり、往時より狭くなっています。

現在、出島中央のT字路の中心に立ち、西側、東側それぞれに視線を向けると、その西端、東端を見渡すことができ、出島は本当に小さい島だと実感します。ところが、絵画史料や発掘調査など、様々な記録を見ると、この島の中には、オランダ人の住居や輸出入品を納める蔵、上水道、下水道に関する設備、洗濯場や貿易品を改める広場、庭園や菜園、家畜の小屋など、様々な施設が備わっていたことがわかります。人々が生き、働くために必要な町としての機能が、出島の中に、すべて詰まっていました。これらの充実した島内の設備が、閉鎖された空間での長きにわたる対外交易を可能としたといえましょう。

日本人の視点で見ると、長崎は日中、日蘭の貿易の場であり、海外の人、物、事が行き交うことから、遊学の地として選ばれました。そのなかにあって、出島は、機会があれば一度は足を踏み入れたい憧れの地とされ、そこから輸入されたアジアやヨーロッパの文物は、日本の文化に上手く取り入れられ、人々の生活に刺激や潤いを与えました。

出島、この小さな島が、アジア、ヨーロッパと日本の中継貿易の地として果たした役割はとても大きなものでした。

(長崎市 出島復元整備室 学芸員 山口美由紀)

『出嶋歩刻之図』長崎市 出島復元整備室所蔵

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