建物の紹介 – 【公式】出島〜dejima〜

建物の紹介

鎖国期(1820年頃)の復元建物

第Ⅰ期事業 2000(平成12)年復元
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    Ⅰ-1
    一番船船頭部屋
    オランダ船(一番船)船長や商館員の居宅として使用されていた建物。
    1階は倉庫として使用された土間を、2階はテーブルやベッドなどを展示し、当時の居室を再現しています。
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    Ⅰ-2
    一番蔵
    輸入品である砂糖が収められていた蔵。
    出島内の倉庫は耐火のため土蔵造りでした。建物内部では復元工事の過程を紹介。発掘調査で見つかった当時の建物の基礎石も公開しています。
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    Ⅰ-3
    二番蔵(貿易館)
    主に輸入品である蘇木(染料)が収められていた蔵。1階は「貿易と文化の交流」をテーマに、出島に出入りしたさまざまな貿易品を紹介しています。
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    Ⅰ-4
    ヘトル部屋
    オランダ商館の商館長次席(ヘトル)の住居。
    1階は「出島グッズ」などを販売するミュージアムショップ、2階は企画展を開催する企画体験調理室となっています。オストメイト対応のトイレもこちらに設置しています。
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    Ⅰ-5
    料理部屋
    商館員たちは1日2回、カピタン部屋の2階で食事をしていました。その食事を作っていたところが料理部屋。出島へ出入りしていた通詞や役人は珍しい西洋料理をお土産として持ち帰り、大変喜ばれたそうです。
第Ⅱ期事業 2006(平成18)年復元
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    Ⅱ-1
    三番蔵
    砂糖のほか、さまざまな輸入品が収められていた蔵。当時の倉庫の様子を再現しています。
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    Ⅱ-2
    拝礼筆者蘭人部屋(蘭学館)
    帳簿などの筆記を行うオランダ人の書記の長が住んでいた建物。出島から入ってきた蘭学を紹介しています。
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    Ⅱ-3
    カピタン部屋
    オランダ商館長(カピタン)の事務所や住居として使用されていた出島で最も大きな建物。日本の役人や大名などが出島を訪れたときに、接待の場所としても使われていました。1階は出島の歴史や生活に関する展示、2階は商館長の生活の様子を再現展示しています。
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    Ⅱ-4
    乙名(おとな)部屋
    出島において日本側の貿易事務や管理を担当していた出島乙名が拠点とした建物。出島乙名は、出島を築いた出島町人から選ばれました。1階では乙名の仕事を分かりやすく紹介しています。
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    Ⅱ-5
    水門
    西洋と日本の文化・学術・貿易品が最初に出入りした象徴的な建物。2つの通り口のうち南側は輸入用、北側は輸出用に使われていました。
第Ⅲ期事業 2016(平成28)年復元
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    Ⅲ-1
    十六番蔵
    かつての丁子蔵を企画展示室と収蔵庫としています。
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    Ⅲ-2
    筆者蘭人部屋(オランダ人の書記の住居)
    出島が貿易や文化交流を通じて世界と日本各地とつながっていた様子をわかりやすく紹介しています。(男女トイレ・車いす対応トイレ・オストメイト対応トイレ・エレベーターがあります)
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    Ⅲ-3
    十四番蔵
    かつては砂糖の蔵でした。蔵の下の発掘遺構や出島築造の様子、出島と長崎の町をつなぐ橋を紹介しています。
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    Ⅲ-4
    乙名(おとな)詰所
    表門から出入りする人を監視するために出島の管理者である乙名が詰めていました。
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    Ⅲ-5
    組頭(くみがしら)部屋
    乙名の補佐役(組頭)の名前がついていますが、銅を計量したり、梱包したりしていました。
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    Ⅲ-6
    銅蔵
    出島の主要な輸出品である銅を保管している様子を再現し、銅を通じて日本・世界がつながっていた歴史を映像で紹介しています。

幕末(1860年代)の復元建物

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    B-1
    旧石倉(考古館)
    幕末の商社の石倉でした。日本最初のプロシアの商社も入り、坂本龍馬たちの海援隊とも取り引きを行いました。出島の発掘調査によって出土した考古資料を展示しています。
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    B-2
    新石倉(総合案内所・出島シアター)
    出島の施設やイベントに関することはこちらでお尋ねください。阿蘭陀通詞の出島案内を映像で紹介しています。

明治期の洋風建物

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    M-1
    旧出島神学校
    1878年(明治11年)に建てられた、現存するわが国最古のキリスト教(プロテスタント)の神学校。1階には料金所や出島売店・休憩室などがあります。
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    M-2
    旧長崎内外クラブ
    1903年(明治36年)、長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として建てられました。1階は長崎の食をテーマにしたレストラン、2階は居留地時代の展示を行っています。

出島穴場スポット

表門
平成2年に復元されたもの。もともとは明治期の中島川変流工事によって削られた部分(川の中央付近)にありました。
江戸時代には、対岸の江戸町側から表門橋を渡ると、この表門があり、ここに詰めていた探番(さぐりばん)が
出入りする人を改めていました。
ミニ出島
昭和51年に制作された15分の1の模型。川原慶賀が1820年ごろの出島を描いたとされる「長崎出島之図」を参考に再現したものです。
県指定史跡 ケンペル・ツュンベリー記念碑
出島オランダ商館医シーボルトが来日中、先任者であるケンペル・ツュンベリーの2人の学者の偉業を顕彰して建てた記念碑です。
  • 慶応3年の石垣

    出島南側の道路には、慶応3年(1867年)に拡張された護岸石垣のラインを示す鋲(びょう)が埋め込まれています。道路上にあるので、電車と車には気をつけましょう。

  • 荷揚げ場
    荷揚げ場は、出島の西側にある少し突き出た部分で、船の積み荷の揚げ降ろしに便利なようにと、後で継ぎ足されました。復元されたものをよく見ると、石垣の形が異なり、3回にわたって継ぎ足されたことがわかります。
  • 基礎石(一番蔵)

    江戸時代の建物の基礎石は、当時の建物の大きさや位置を知る上で重要な史料となりました。現在、一番蔵と二番蔵と十四番蔵のなかで一般公開されています。

  • 基礎石(二番蔵)

    江戸時代の建物の基礎石は、当時の建物の大きさや位置を知る上で重要な史料となりました。現在、一番蔵と二番蔵と十四番蔵のなかで一般公開されています。

  • 瓦敷き側溝

    道路の両脇に雨水排水用として造られた溝で、復元された建物の前に再現されています。また、出島の中央部分から東側にかけては、居留地時代の側溝(三角溝)があり、当時のようすを物語っています。
    写真左:瓦敷き側溝 写真右:三角溝

  • 旗竿跡

    二番蔵の前にあり、オランダの記念日などには国旗が掲揚されました。

  • 時鐘

    「メイザン」の名で多くの資料に見られますが、その位置は建て替えのたびに移動したようです。ひもを引いて鳴らす西洋式の鐘で、18世紀のオランダで実際に用いられたものを吊っています。

  • 用水地

    火災に備えて設けられた間口1間半×4間(約2.7m×7.2m)の用水池。中央部に長方形の枡(ます)をもつ二重構造で、表面は水を通さないアマカワという粘土で塗り固められ、2個所に階段が設けられていました。現在、池の周囲にめぐらせた縁石で用水池の大きさを表しています。

  • 天秤量り(複製)

    オランダ船が運んできた輸入品の砂糖などを計量するもの。天秤の一端に籠(かご)や袋につめられた砂糖を置き、もう一端に分銅を置いて、棹(さお)が水平になったときの分銅の総重量で砂糖などの重さをはかります。

  • 石造日時計(複製)

    この日時計の実物は、商館長ヘルマン・クリスティアン・カステンス(1766~67滞在)によって出島の花園に設置されました。日光の影により、朝6時から夕方6時まではかることができ、真ん中の南北を示す線が12時です。

  • 居留地時代の地番境石

    安政6年(1859年)、出島のオランダ商館は廃止され、領事館が設置されました。さらに、慶応2年(1866年)には外国人居留地に編入されました。この石標柱は、居留地時代の出島の地番を示したもので、現在、敷地の東側から中央部にかけて、道路沿いを中心に7個所の石標柱が残されています。

  • 陶製の門柱

    昭和29年(1954年)に移築されたもの。柱にはペトゥルス・レグゥー窯のマークが刻まれているため、オランダのマーストリヒトにある同社の製品であり、当時出島にあった店舗に使用されていたことが推測されます。ペトゥルス・レグゥー窯の製品は、当時出島を介して阿蘭陀(おらんだ)趣味の大名や藩主、商人などが入手していました。