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【出島町人を語ろう】 Vol.4 出島の大家さん – 【公式】出島〜dejima〜

お知らせ

2024/09/01 復元整備室からのお知らせ
【出島町人を語ろう】 Vol.4 出島の大家さん

これまでのコラムでは、出島町人とはどういった人々か、また初代の出島町人たちについて、紹介してきました。これからは、さらに詳しく、出島町人について語ります。

 出島の築造に出資した出島町人たちは、この島をポルトガル人、のちにオランダ人に貸出すにあたり、出島賃借料を徴収しました。ポルトガルからは銀80貫目、オランダ商館からは銀55貫目が支払われました。一説には、オランダ商館の総支出額のうち、この家賃代が全体の10~12%を占めていたため、商館にとっては大きな負担になっていたと言います。日本側からみると、オランダの賃借料は幕末に至るまで金額が変更されませんでしたので、貨幣価値の変動によって、この金額が高いのか、安いのか、印象が変わります。この賃借料は、出島町人が所有する株に応じて、出島家賃銀として配分され、その中から地子銀を納め、所有する建物の修理を分担しました。

 19世紀初め頃の出島の平面図『出島歩刻之図』を見ると、建物ごとに色が塗られています。これは建物の所有、管理がいくつかに分かれていることを示したもので、大きくは出島町人、幕府、オランダ商館に分かれます。出島の中の建物は概ね出島町人が所有管理していましたが、細かくみていくと、門や乙名詰所など警備に関する施設は幕府が管理し、またオランダ商館が自分たちの生活や憩いのために必要な施設、例えばカピタン別荘や牛小屋等は、商館が所有していました。悪天候や老朽化によって建物の修繕が必要になった時には、この所有区分によって、それぞれが修繕費用を賄い、出島は継続的に維持管理が行われました。 

(長崎市 出島復元整備室 学芸員 山口美由紀)

出島歩刻之図    長崎市所蔵
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