日本近代化の原点を探す旅・・・

出島は、江戸時代、幕府が長崎の有力町人25人に築造させた人口の島です。寛永13年(1636)に完成し、当初はポルトガル人が入居しましたが、寛永16年(1639)に追放されました。

その後、寛永18年(1641)、平戸にあったオランダ商館が、出島に移転しました。以後、218年間、西洋に開かれた雄一の窓口として、日本の近代化に大きな役割を果たします。

oudeplaatdejima②伝川原慶賀筆「.長崎出島之図」

開国に伴い、安政6年(1859)オランダ商館が廃止されると、慶応2年(1866)、出島は外国人居留地に組み入れられました。

明治以降、出島周辺の埋め立てが進み、明治37年(1904)、出島は扇形の姿を消してしまいます。
その後、大正11年(1922)10月12日には、「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されました。

その歴史的価値を未来に残そうと、出島復元整備事業が進んでおり、現在19世紀初頭の16棟の建物が復元されています。

また、平成29年11月には出島表門橋が完成し、当時と同じ江戸町側からの入場ができるようになりました。

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