出島の町並み

19世紀初頭の出島の復元

SBSH017511現在の復元事業は、19世紀初頭、和蘭商館長ブロムホフや商館医シーボルトたちが活躍した時代の出島の復元を目指しています。すでに、カピタン部屋を始め10棟の建物の復元が完了しています。

このほか出島では、古くは、築造当初ポルトガル人が住んでいた時代の護岸石垣や、坂本龍馬達が活躍した幕末、開国後の出島の石倉、更には明治期の貴重な木造洋風建物など、異なる時代の遺構を見ながら出島の変遷をたどることができます。

出島が歩んだ歴史は日本の近代化の歴史でもありました。ごゆっくりお楽しみください。

 

南蛮貿易時代

SBSH0272111211571年ポルトガル船の長崎港への来航から出島が完成する1636年までの65年間、ポルトガル人をはじめスペイン人、イタリア人など、いわゆる南蛮人との貿易の時代が続きました。かれらは市中に住まい様々な交流から南蛮文化が長崎のくらしに溶け込んでいくこととなりました。

出島では、発掘調査の結果築造当時の出島の護岸石垣が出土し、これをれを修復し公開しています。一度は埋め立てにより陸地に埋没した出島が100年の時を越え、再び目の前に現れました。

 

和蘭貿易時代

SBSH0180111 1637年、島原の乱がおきると、徳川幕府は大きな衝撃を受けます。その後、1639年ポルトガル人は国外へ退去を命じられ、完成まもない出島は一時その住人を失い、長崎の商人たちを落胆させました。

しかし、幕府は1641年平戸の和蘭商館を出島へ移すよう命じます。長崎におけるオランダ貿易の幕開けです。

現在、復元が進んでいる建物の時代設定は、商館長ブロムホフや、商館医シーボルトたちが活躍した19世紀初頭1820年代ごろの出島です。

 

幕末開国後

SBSH011511211859年江戸幕府はついに開国し外国との通商が横浜、函館でも開始されます。長崎の出島が218年に及ぶオランダ貿易における独占的な地位を占めた時代は終わりを告げます。

開国後は、オランダ以外の西洋の商人も長崎に進出してきます。こうして幕末の出島には新しい洋館や倉庫が立ち並びました。

復元された旧石倉は、幕末に坂本龍馬率いる幕末海援隊が取引に訪れたハットマン商会の倉庫でした。その後も出島は外国人居留地として新しい役割を果たしてゆきます。

 

明治時代以降

SBSH0274111出島には明治期の洋館、旧出島神学校と旧長崎内外クラブが残っています。

旧出島神学校は、日本に残る最古のプロテスタントのキリスト教神学校です。また、旧長崎内外クラブは、T.グラバーの息子倉場富三郎が設立に尽力した長崎在住の主だった政財界人からなるインターナショナルクラブの建物でした。

旧長崎内外クラブの完成と時を同じくして、出島の周辺の埋め立て工事は完成し、その後、時代とともに出島の面影は消えてゆきました。