出島の歴史

nJLJjtZkKyl1lmTQufUV寛永13年(1636)に築造された出島は、安政6年(1859)、オランダ商館が閉鎖される218年間に渡り、わが国で唯一西欧に開かれた窓として日本の近代化に大きな役割を果たしてきました。ここでは、出島の誕生から終焉までの歴史をご紹介します。

 

出来事
1634年 寛永11年




出島築造に着手
1634年 寛永11年
日本人の海外渡航禁止
(第2次鎖国令)
1634年徳川幕府はキリス
ト教の広がりを防ぐことを目的とし、長崎の町に住むポルトガル人を一か所に集めるため、出島の築造を命じました。
出島は、岬の先端部に人工的に作られた築島で、面積15,000㎡の扇形の島でした。
1635年 寛永12年唐船の入港を長崎港に限定
日本人の海外渡航、海外在住日本人の帰国全面禁止、大型船建造禁止(第3次鎖国令)

1636年 寛永13年出島完成
ポルトガル人を出島に収容(第4次鎖国令)
1637年 寛永14年島原の乱(~1638)
1639年 寛永16年ポルトガル船の来航禁止
(第5次鎖国令)
1641年 寛永18年平戸オランダ商館、長崎出島に移転
(鎖国体制完成)
1649年 慶安2年外科医カスパル・スハンベルヘル来日
1650年 慶安3年和蘭特使 フレイシユス、江戸参府
1662年 寛文2年出島内に伊万里焼きの店を開店
1673年 延宝元年英船リターン号が長崎に入港。
通商要求、幕府は拒否。


1678年 延宝6年出島橋を石橋にかけ替える
1689年 元禄2年唐人屋敷完成
1690年 元禄3年オランダ商館医ケンペル来日
1696年 元禄9年脇荷蔵建造
1698年 元禄11年長崎会所を設置
1699年 元禄12年出島水門建造
1707年 宝永4年出島に水樋を設置
1715年 正徳5年正徳新令を施行
1716年 享保元年享保の改革が始まる
1720年 享保5年幕府、洋学を解禁
1774年 安永3年『解体新書』出版
1775年 安永4年ツュンベリー来日
1776年 安永5年アメリカ独立宣言
1789年 寛政元年フランス革命
1790年 寛政2年江戸参府を4年に1度に変更
1798年 寛政10年出島大火
1804年 文化元年ロシア使節レザノフ長崎入港
1808年 文化5年フェートン号事件
1809年 文化6年カピタン部屋完成
1810年 文化7年フランス、オランダを併合
1815年 文化12年ネーデルランド王国成立
杉田玄白「蘭学事始」

Sigota Genpaku publishes his Rangaku Kotohajime (Beginning of Dutch Studies)
1823年 文政6年シーボルト来日
1824年 文政7年シーボルト、鳴滝塾を開設
1825年 文政8年ケンペル・ツュンベリー記念碑建立
異国船打払令
1828年 文政11年シーボルト事件
1840年 天保11年アヘン戦争(~1842)
1841年 天保12年天保の改革(~1843)
1850年 嘉永3年最後の江戸参府が行われる
1853年 嘉永6年ロシア使節プチャーチン長崎に来航
ペリー、浦賀に来航
1854年 安政元年日英和親条約を長崎で調印
(長崎・箱館を開港)
1855年 安政2年日蘭和親条約を長崎で調印
海軍伝習所を開設
1857年 安政4年ポンペ、医学伝習教官として来日
1858年 安政5年日米修好通商条約を調印
1859年 安政6年出島の和蘭商館廃止、領事館となる
1860年 万延元年外国人居留地完成
桜田門外の変
1861年 文久元年出島一部水門脇及び西側埋築
南北戦争
1864年 元治元年出島一部西側埋築
1866年 慶応2年出島を外国人居留地に編入
1867年 慶応3年出島の南側を遊歩場として埋築
大政奉還
1869年 明治2年出島町・築町間に出島新橋架橋
1885年 明治18年内務省直轄で中島川の変流工事起工
1893年 明治26年第1期港湾改良工事完成
(出島北側削られる)
1904年 明治37年第2期港湾改良工事完成
(出島姿消す) 日露戦争
1920年 大正9年出島沿岸修築工事着手
1922年 大正11年出島和蘭商館跡を国の史跡指定
内務省告示で史跡名勝天然記念物保存法にもとづき国の史跡指定