出島について

歴史上の”出島”

歴史の教科書に出てくる出島(デジマ)は、名前と扇型の形は知っているという方は多いと思います。しかし、出島というと”鎖国”のイメージは浮かびますが、貿易の内容や日常の暮らしなどはあまり知られていません。ここでは歴史上の”出島”の実像を簡単にご紹介します。☞ここをクリック(近日公開)

国指定史跡”出島和蘭商館跡”

開国後、出島は唯一の西洋との貿易の窓口としての役割を終え、西洋化、近代化は日本各地に広がっていきました。かつて長崎の湾内に突き出た岬の先端に築かれた人工の島は、周囲が埋め立てられ都市部に埋没していきました。出島は次第に人々の記憶からも忘れられていきましたが、大正11(1922)年その価値が評価され国指定史跡に指定されました。 ☞ここをクリック(近日公開)

公の施設、都市計画と”出島”

第二次世界大戦後間もない昭和26(1951)年から、国の支援を受けながら長崎市による出島の復元事業が動き出しました。50年の歳月をかけ国指定史跡の公有化を終え、現在は長崎市の公の施設”出島”として一般に公開しています。また都市計画事業としては”その他の文化教育施設”として復元事業などの整備を進めています。☞ここをクリック(近日公開)

”甦る出島”から”つながる出島”へ

出島の復元は、発掘調査と日本国内のみならずオランダなどヨーロッパに残る豊富な資料などを基に検討が進められました。”甦る出島”が示す通り当初は復元そのものが大きなテーマでしたが、次第に出島の復元ノウハウが確立し、これらの資産を観光や研究などに活かしていくことも大きなテーマとなってきました。再び世界と”つながる出島”を目指しています。☞ここをクリック(近日公開)

将来計画

出島は、鎖国政策の中で語られますが、その貿易の内容を見ると日本とオランダの2国間の貿易ではなく世界の各地とつながっていました。植民地貿易などとは異なり200年以上に渡り、武力ではなく交渉により相互交流が行われた世界的にも類を見ないものでした。出島の将来計画は、相互交流がそれぞれの発展に貢献するという普遍的な価値を示す史跡として世界に発信すると同時に、往時の四方が海に囲まれていた島の姿をよみがえらせることを最終目標にしています。☞ここをクリック(近日公開)